それは、まだ社会を知らない小中学生の時分。
誕生日にしか買ってもらえない家庭の事情により、
手に入ったソフトを、
それはもう遊び倒した。
スマブラであれば全キャラでシンプル&オールスターの最高難易度クリア、フィールドスマッシュ全キャラでステータスカンスト、世界戦闘力をどこまで上げられるか、等々
とび森なら博物館の展示物全制覇、家具カタログ全制覇、パロンチーノおじから貰えるバッジ全制覇、等々
実際に達成できなかったものもあれど。
目標を立ててはまた別のやり込み要素を見出し、それを目標として遊ぶ。
嚙み続けた米にまた味がしてくるように、遊び続けることで新たな気付きを得られる。それが、楽しかった。
お金こそなかったが、有り余る時間を3DSへと注ぎ込んだ青春時代だった。
しばらくして。
アルバイトを始めてお金をある程度自由に使えるようになり、たくさんのゲームに手を出した。
始めこそ幸せと充実感にあふれていたが、やがて「ゲームをする」というある種の義務から逃れたくなってしまった。
大量にあるゲーム、その全てをじっくりと遊びたいが、時間がない。
その間にも新たに面白そうなゲームを見つけては、積んでいく。
終わりが見えない。
お金に余裕が生まれたことで、却って心からゲームを楽しめなくなるとは。
なんとも皮肉な結果となってしまった。
こうしたこともあって、最近はあまりゲームをやり込もうとは考えないようにして、
ストーリーも基本1周して終えることがほとんど。
作中のやり込みや収集要素もほどほどに、次のゲームへ。
一つの作品にこだわらない、遊牧民めいたゲームライフを送っているが、
まだ摘める芽を残して去る自分に時折、葛藤する。
お金も時間も比例して増えればいいのだけれど。